おとぎ話のつづき
先日の「2月22日」の、ニャンコの日。
色々なメディア等で、猫関連の話題が盛り沢山でしたね。
可愛い!癒される!
などと言う、お馴染みの、もっと言えば当たり前の(笑) 話題から
こんな現実もあります!
と言う、問題提起のものまで様々でした。
猫に限らず、空前のペットブームと言われる今だからこそ、どんな形であれ現実を知る事や問題に視線を送る事はとても大切な事だと思います。
そこに「命」がある事。
その命とどう向き合い、どう関わって行くのか。
知れば目を背けたくなる様な事であっても、やはりそんな現実もあると言う事は忘れてはならないと改めて思いました。
かーさんなど、とても大きな事が言える立場ではありません。
それでも、八朔や小夏を通して、多くの事を知り学んできました。
この子達が教えてくれた 「猫」と言う生き物の健気さや愛しさは想像を遥かに超えています。
そして、それはこの先もずっと変わる事無く、むしろもっと大きくなって行くのだろうと思うのです。
違う種別の命と暮らしを分け合うのは、決しておとぎ話のような「はい!それからは幸せに暮らしました」で終わる様なものではありません。
日々の暮らしには、決して苦にはならなくとも手間も暇もかかります。
もっと言えば、過不足なく命を見守るには、それなりのお金だってかかる訳ですしね。
ゲロPだぁ~~!
おぉ~!うんPが落ちている!
誰がここまで猫砂を運ぶんだーーー!
洋服には漏れなく猫毛付きゆえ、コロコロが必須!
猫好きなら誰しもがこんな経験はありますもんね(笑)

おとぎ話の続きは、日々掃除に明け暮れる事だったり、猫様の腹時計に振り回される事だったりします(笑)
自由に手足を伸ばして眠る事だって出来ません。
時には遊びに夢中で、しこたま蹴られたりもします( ̄▽ ̄;)
体調を崩せば、それこそ心配で心配で何も手に付かない程にもなります。
何しろ相手は「痛い」とも「苦しい」とも口には出来ないのですものね。
人とは違う時間軸を生きるのですから、いずれは掛け替えのないその命を見送らなければならないと覚悟もしなければなりません。。。
いえ、むしろ、そうやって見送る事が今のかーさんの最大の目標でもあります。
。。。絶対にこの子達を残してはいけない。。。
制約があったり、心配事が増えたり…それは確かです。
でもそれは、言い換えれば、「そうする事が出来る権利」を貰った事でもあります。
誰よりも側で、心配出来たり世話をする事を許された事です。
すっかり陽が落ちた帰り道、家路を急ぐ時…
頭の中に茶トラーズの顔が浮かびます。
「ちゃんと良い子で待ってるかな…」
「寂しがってないかな」
案外へっちゃらで、しら~~っとしているのが常なのにね(笑)
自分の生活の時間に、何の不思議も無く当たり前に堂々と茶トラっ子達が居る。
それが何にも増して嬉しいのです。

沢山の…様々な形の…猫と人の数だけ、出会いの形があり、それぞれの物語が始まります。
そのどれもが、きっと「運命の出会い」
可憐なお姫様と出会うのがオッサンでも(笑)
素敵な王子様の運命を握ったのがオバサンでも(笑)
それは、どれもが「そこから始まるおとぎ話」なのです。
それと同時に、おとぎ話の続きは、とっても生活臭のするドタバタで、でもきっと笑顔が必須のお話しです。
いつか…掛け替えのない命が空に昇ってしまっても、そのお話しは続くはずです。
心の中に色褪せない物語が、いつまでもいつまでも。。。
猫が綴る物語は終わりの無いお話しなのかもしれませんね。
だから…
「つづく」で、今日もお終い(笑)



スポンサーサイト