悪くない…
人は誰もがその人生で、たった一冊だけ本が書けると言います。
自分の生きた足跡を綴る本…
自分史です。
真っ平らで順調なだけの人生など、どんな方にも在り得はしない。
その時々で悩み、苦しみ、それでも歩いて来た道のりは、一つの物語。
振り返る事でしか解らなかった、岐路に気付く事もきっと多いでしょう…
あの時…もし他の道を選んでいたら…
それは、誰しもが一度は思ってしまう「別の可能性」
もしも、あの時…もう少しの我慢が出来ていたら…
もしも、あの時…違う言葉で伝えられていたら…
或いは…何の気なしに曲がったあの道ではない道を行っていたら…
年を重ねると言う事は、小さな大きな後悔を重ねそれと向き合うと言う事に等しいのかもしれません。

手前八朔、奥小夏
半世紀余りを生きて来た、かーさん…
己の来し方を振り返れば、何と恥じ多き人生かと思い知らされます。
穴があったら…ではなく、自ら地球の裏側へ届くほどの穴を掘って入りたいと思う程に…
もう一人の自分が居て、それを間近で見ていたとしたら…
おそらくは呆れ果てて大きな溜息をつかれるか、もしかしたら後ろから何も言わずに蹴られるかもしれません。
破天荒だと思います。
我ながら見事に「普通」である事を選ばなかったヤツだと。
娘が生まれた時…そして息子が生まれた時…
その日から、彼等の記録を折りに触れて綴りました。
最初の頃は、それこそ事細かに…
徐々に緩やかに…
最後の方はそれこそ誕生日の日にのみ。
それを子供たちが巣立つ時に、それぞれに渡しました。
娘が結婚式を明日に控えた夜、母娘でその擦り切れ始めたノートを捲ってみました。
最初は二人で笑いながら「こうだったんだよ~」と。
しかし…
ある時期を境に娘が反論を始めたのです。
とある出来事を書き記したそのページを見て、娘は言いました。
「母さん、こんな風に思ったんだ…」
では貴女は?と聞くと、娘は全く違った方向からの視点で感じた事を話し始めたのです。

左小夏 右八朔
口から生まれたと自負するかーさんは、娘とも息子とも本当によく話をしました。
馬鹿な話しから人生論の様な話しまで、ありとあらゆる事。。。
母として…先に生まれた人間として、伝えておきたい事や、かーさんの判断基準がどこにあるか…
何故、これは許さなくて、これは背中を押すのか…
しかし、娘が話し始めたのは、そんな事ではなく、本当に些細な出来事についてだったのです。
「母さんはこう思ったんだね…でも私はこうだったんだよ」
その時初めて、かーさんは「娘の人生」を目の当たりにした気がしました。
そう…「かーさんの人生の中の娘」ではない「娘の人生」。
当たり前なのです。
生れ落ちた瞬間から、彼女は彼女の生をいきる。。。
娘もまた、「自分史」を綴っているのです。
そんな娘も子供を持ち…やはり同じように育児記録を付けていると言います。
2冊に増えたノートに、それぞれの子供達への思いを綴っているのでしょう。
いつか…娘もその子供達にノートを手渡す時が来て、きっと同じように気付くのかもしれません。
娘の娘がお嫁に行く時…
その荷物の中には、このノートと、やっぱり「母のレシピ」を書き留めたノートがそっと入れられるのでしょうね…

小夏
今、かーさんは決して手放す事のない記録を綴っています。
あの日…気紛れに道を曲がった先で転がり出て来た八朔。
あの時…何故かどうしても立ち寄りたくなった神社で見かけた小夏。
物言わぬ、でも雄弁なこの兄妹の記録は、かーさんの自分史の中に組み込まれると共に、それぞれが独立した物語でもあります。
もっとずっと先…
いつか振り返った時に、突然訪れた岐路の事…それからの日々の事…
一つも漏らさず残しておきたい。
そこに笑顔が溢れていた事や、愛しさに胸が苦しくなった事も…ひとつ残らず。
かーさんの自分史は、そろそろ終盤に差し掛かりました。
相変わらず褒められる様な事など何もない困った記録です。
そんな中…たった一つだけ胸を張って言える事が出来ました。
八朔…小夏…
君達は確かにかーさんの物語の終盤で、輝きを放つ宝物だよ。
かーさんがいつか…そっと自分史を閉じる時
「悪くなかったよ」
そう言えそうなのは、きっと君達と、とーさんのおかげだね。

手前八朔 奥小夏
連休中につきコメント欄はクローズさせて頂きますm(__)m


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