幸せの定義

栗ご飯を炊きました♪
今年はちとお高めの新モノのサンマを焼きました!
大根おろしには、柚子の香を添えて…
牛蒡と人参のキンピラに、カボチャの煮物。
お新香に具沢山のお味噌汁…
あぁ…秋だなぁ…♥
ささやかな食卓を囲むと、自然に頬が緩みます。
「美味しいね!」
「かーさん何時も美味しい食事有難う!」
横では、サンマの味見がしてみたい八朔が、エッヘン顔で待機中(笑)
(ついでにカボチャも大好物♪)
こういう時、コヤツは鳴きません!
「ボクは良い子です!良い子だから味見させてくれるはずです!」
と、ひたすら凝視と良い子アピールです(^^;
根負けしたかーさんに、中骨の辺りの身を少しだけ味見させてもらって、得意顔。
「ん~♪やっぱり秋はサンマですね!」
と…思ったかどうかは定かではありませんが(笑)
そのまた横には、人間の食べ物には然程興味を示さない小夏がスタンバイ。
こちらは、早く食べ終わって、遊んで遊んで、撫でて~~のアピール中。
とーさんにお尻を向けて平べったくなって座り込んだら準備OKの印です。
「さぁ、いつでも撫でてくれていいわよ~♪」
小さな食卓を囲んで、二人と二匹。
何でもないこんな光景が、我が家の取って置きの「幸せの風景」です。

心とか、幸せとか…目には見えない形のないもの。
確かに感じる事ができるのに、手に取って眺める事はできませんよね。
だから時々不安になってしまうのかもしれません。
自分の思いや心は、他の誰でもない自分のものです。
「あの人の心が素敵だから、あれが欲しい」とは、誰も思いませんよね(笑)
なのに…どうして「幸せ」は比べたがるのでしょう。
こうでなければならない「幸せの定義」などどこにもないのに…
あの人より幸せでなければ。
こうならなきゃ幸せとは呼べない。
お金やモノ、環境やパートナー。
比べても仕方が無い事を比べたがる。
より良いものを求める向上心は、人を高める事があると思います。
それを手にするだけの努力を払い、その結果としてついてくるものであれば羨ましいより素晴らしい!
きっと、その努力は、それを手にした時にそのものを使いこなせる資質をも運んでくると思うのです。
卵が先かニワトリが先かではありませんが
環境が人格を成長させる事も絶対にあります。
ただし…その環境は全てがお金とは限らないでしょうけどね。
清貧もまた善し!(笑)
物欲がサッパリ無くなった枯れたかーさんでも、宝くじよ当たれ~~!とは思いますが…(^^;

「こなちゅもバリバリしたじゃん!(--;」
古より「言の葉には魂が宿る」と言われて来ました。
少し前に流行った「陰陽師」の中でも「一番短い呪は名前」だとも言われていましたよね。
その人の名前には、その人の魂が宿る。
かーさんは、八朔や小夏の名前を決めた時から、その名を愛して来ました。
毎日の暮らしの中で、何度も何度も繰り返し呼ぶ名前に強い愛着と祈りを感じています。
「はっちゃく~!可愛いね!」
「こにゃつ~♪別嬪さん!」
名付けて呼ばれる事。。。
呼ぶ度に「幸せであれ」と思う気持ちです。
可愛い声でお返事を返される度に「出会えた幸せ」を感じる気持ちです。
ここには確かに身の丈に合った「我が家の幸せ」があります。
誰に誇る訳でもなく
誰に媚びる訳でもなく
比べる必要さえ感じない…そんな小さな幸せです。
自分の幸せの形に気付けるかどうか…
案外幸せへの近道は、そんな所にあるのかもしれませんね。

「左小夏 右八朔」


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